腸のがんで荼毘(だび)にふされた父 大好き、ありがとう

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写真はイメージ=PhotoAC

2017年の冬、70代の父に腸のがんが見つかりました。

それから父は手術、抗がん剤、放射線治療をし、入退院を繰り返しました。手足の先がしびれ、食欲不振、脱水症状、味覚の変化などの副作用がありました。私は父の体調がいい時に、なるべく一緒に過ごす時間をつくりました。外食、美術展、実家での食事……。父に無理のないように行きました。しかし、会っても父は「つらくなってきた」と横になることが多くなり、約束の日に「今日は無理、ごめん」と電話がかかってきたこともありました。

18年の秋、「知り合いが出展している美術展へ家族で見に行きたい」と父から連絡がありました。私は夫を誘って行きました。

待ち合わせ場所に、ゆっくりと歩きながら父と母がやってきました。痩せて弱っている父を見て、私は泣いてしまいました。父も私の顔を見て泣き、母もつられて泣き、3人で抱き合って泣きました。この時の会話は「大好き」「ありがとう」を繰り返したのを覚えています。

「○○ちゃん、今日は体調が悪いからもう帰るね。せっかく来てくれたのにごめん」と私に言って、母に付き添われて父は帰宅しました。私は見送りながら涙が止まりませんでした。弱っている父を見て、会える時に会いたい、会えないと後悔する、と思ったのです。

この年の12月、私は午後半休をとって父に会いました。入院中でしたが一時外出許可をとってくれて実家で会いました。

「ついこの間、もうダメだと思った時に○○ちゃんのことを思い出した」と私のことを言ってくれました。最期の時に思い出してくれたらこんなに嬉しいことはありません。○○ちゃんが可愛くてたまらない、○○ちゃんはいい名前だと何度もつぶやくように話してくれました。

19年2月、有給をとって入院中の父に会いに行きました。お互いに泣いて喜び合い、このように言われました。

「○○ちゃん、今日は来てくれてありがとう。○○ちゃんに会う時も、○○ちゃんの兄弟姉妹に会う時も、いつも『今日が最後かもしれない』と思いながら会っている。でもそうなりたくないから治療を頑張っているよ」

「ありがとう、今日は会えて嬉しい。わたしに会いたいと思ったら、いつでも呼んでね」

「わかった、また来週来てくれ」

翌週に見舞に行った時には、昏睡状態でした。急に弱ってしまったのです。

あと何回会えるかわからないと思い、職場に事情を説明しました。平日に週に1度、早退するか午後半休をとりたいと相談したところ、上司は理解を示してくれました。上司に私が不在中のフォローを依頼すると、快く引き受けてくれました。今でも本当に感謝しています。

ある日、お見舞いに行ったら父の部屋は個室に変わっていました。酸素マスクをし、痩せていても話しかけるとわずかに反応します。もう会話もできない状態でした。

父を実家で在宅看護することも考えましたが、母も70代。老々介護で母に負担がかかるのを避けたいと思い、このまま病院のお世話になることにしました。

病院にいると定期的に看護師が見回りにきます。女性看護師の2人が父の体勢を変えているのを見て、これでは自宅で父の世話をするのは大変だと思いました。父に会いに来る友人知人も多く、母が一人で家にいる時に接待するのも負担がかると思いました。手厚く看護をしてくださった病院には本当に感謝しています。

3月のある日の朝、きょうだいから「父の心拍数が下がったからすぐに来てほしい」と電話があり、急いで病院に駆けつけました。私が着いた時、父はすでに亡くなっていました。酸素マスクなどを外して寝ているようです。穏やかな顔、まだ温かい父を見て、亡くなったとは思えませんでした。

心拍数が下がり、ゼロになり、そのまま静かに逝ったそうです。母ときょうだいが看取ってくれました。とても穏やかな最期の話を聞いて救われました。

都内は葬儀場、火葬場が混んでいるという話はよく聞きますが、実感しました。父が亡くなってから荼毘にふされるまで1週間以上かかりました。

私は普段から父と仲が良く、毎月会っていました。転職、結婚、引っ越しなどの節目は相談してアドバイスをもらい、話し合い、会話することが多かったです。大切な家族を亡くしたのですから悲しく寂しいですが、後悔はありません。